K YOGAにもサンタがいました

通勤途中に工事現場があります。かなり大きなスペースが白い壁で囲まれているので、きっとオフィスビルじゃないかと思っています。

コンビニに寄りたいときだけ、その道を通るので、いつも見ているわけじゃないのですが、昨日、久しぶりに通ったら、壁のはじ、角のところにクリスマスツリーが飾ってありました。そこだけ白い壁が透明の壁になっていて、その内側ではツリーがピカピカ光っています。

決して大きくはないし、プラスティックの木に赤と緑の電飾が付いているだけの、言ってみたら普通のツリー。オーナメントを沢山飾った家のツリーのほうがずっと豪華だ。

でも、殺風景な工事現場に、しかも夜は真っ暗になるそこに、唐突に置かれたツリーは、とても貴重なものに見えました。クリスマス気分を盛り上げるというよりは、暗い道を照らし、冷えていく夜を少しだけ温めているみたいな。

よく「工事のため、ご迷惑をおかけします」という、作業員の人が頭を下げている絵の立て看板があるでしょう?それは、それできちんとした対応だと思うけど、このツリーはそれとも違う。

誰が、こんなステキなことを考え付いたのかな。もちろん工事会社の人だろうけど。「ここにツリーを置きましょう」と最初に提案した人は何を思ったんだろう。工事現場の壁が、ただ囲うだけで、人を寄せ付けないためのものなのが、イヤだったのかな。「そんなの経費のムダ」と反対する人だって、きっといただろう。

表参道の豪華なイルミネーションじゃないんだから。人を集める意味なんてないし。人通りはあるけど、誰も足を止めないのに。ちらっと見たら、それで終わりで、次の交差点で人ごみにまぎれたら、すぐに忘れるのに。

でも、それでいいのかも。それだから、気持ちを動かされる。その場限りの、その場がきれいな場所だったら。その角を通り過ぎるとき、一瞬だけ目に入るものが、暗い中に光るクリスマスツリーだったら。

「ずっとあなたのことを想っています」とか、「いつまでも忘れないでね」という約束がその通りだったことなんて殆どない。絶対ない、とは言わないけど。だからこそ永遠をみんな探すのだ。

だけど、たった一瞬でも光っていたら、永遠に輝くのと同じだ。その一瞬のために、精いっぱいのことをするのだって・・。

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クリスマスイブの夜、待ちきれなくてカーテンの端をめくって外を見たら、サンタクロースが営業前のウォーミングアップにヨガをやっていた。トナカイたちはダウンドッグや、キャット&カウをしている。

ではなくて、(もちろん)。いつも朝ヨガに来て下さる方にくっ付いて来てくれました。その人こそMissサンタクロースだと思った。どうもありがとうございました!

 

動かしたいところをちょこちょこ動かす

仕事以外には殆ど外出しないので、通勤する駅は、ある意味、自分と外をつなぐ架け橋みたいなもの。あれこれ観察するせいか、変わった人を沢山発見する率が高い気がする。反対に言えば、観察しなきゃ、気付かないってことかも。

早朝の駅の上り階段。その真ん中で足を前後に開いてストレッチする人。写真はTamaki先生のハイランジだけど、その足だけを、階段の上下を使ってやっている。

しかも、この写真と同じくらいのワイドスタンス。階段4段分くらいかな。私が見た時は、すでにポーズが出来上がっていたけど、よく階段で、ここまで足開けましたね。相当無理しているんじゃ?その時点で、もうヨガじゃない。というか、その人はヨガをやっているつもりはないだろう。

人が少ないので、階段の前後左右の真ん中、いわゆるセンターでやってる。何をしたいんだろう。上下にバウンドして、やる気まんまんですねえ。周りの人は、階段の左右の端を黙々と上っていくけど、みんな見ないふりか、ガン見か、そもそも気にもとめないかのどれか。

後ろの踵を階段の端から落としているので、ふくらはぎもしっかり伸びそう。で、階段から落ちないように前足もしっかり踏むから、足全体にも効きそう。

あ、脚の前後を取り替えるときは、どうするんだろう。後ろ足を前に持っていくにも、その反対にしろ、結構怖そう。まさか「はい、マットに手を着いてー」みたいなことはできないだろうから。電車が来そうだったので、見届けられなかった。

そもそも、なんでここ?おうちに階段ないの。電車を待つ、すき間時間ストレッチってこと?それでも、階段のまん真ん中ってどうですか?よっぽど、見て見てちゃん?周りに流されず、自分に集中する、ってそういう意味だったか?毎日、この時間に、ここでやってるんだろうか?だったら、密かに有名人だろうな。

でも、駅の階段は別として、気付いたら、動かしたいところをちょこちょこ動かすのが、体のメンテナンスにはちょうどいいのかも。ヨガスタジオで1時間頑張って、残りの23時間を怠惰に過ごすよりは。

Mizue先生がよく言うけど、姿勢でも何でも日々の積み重ね。ヨガスタジオでしゃきっとしてても、いつもそうじゃなければね。ヨガは、普段何もしないことの言い訳のために、練習するわけじゃないんだよね。意識的に体を動かしたり、いつも落ち着いた心持で過ごす、こんなことを普段からできるようにするために練習するのだろう。

だけど、言うは易く行うは難し。だから、ヨガスタジオに行くのだった。

 

「トイレいかがですか?」

どこか遠出をするらしい、マダム10人ほど。みんなキャリーバッグを曳いて、地下鉄の駅の構内を歩いていた。大体アラフォーからアラ還かな。前を歩いている、仕切り役の人が、後ろを向いて大きな声で一言。

「トイレいかがですか?」

ん?マクドナルドの、「ご一緒に、ポテトはいかがですか?」を思い出した。トイレってお勧めしちゃうものなんだ。

あ、お勧めされて、マダムが何人か、地下鉄のトイレに向かってるわ。団体行動だと、キャリーバッグを見ていてくれる人がいるからいいよね。一人でスーツケース引きずって、空港のトイレに行くとき、どんなに苦労することか・・・。

お勧めされると同時に、そそくさとトイレに向かう人は、可及的速やかに必要性があったか、とても用心深い人だろう。何事も、指さし確認タイプじゃないかな、「窓OK、ガスOK、玄関OK」的な。

お勧めされたんで、他の人にくっ付いてトイレに行った人もいるよね。「じゃ、私も行っておこうかな」みたいな。そういう人って、マックでも、2回に1回は「じゃ、ポテトも」って言ってると思う。

みんながトイレに向ったのを見届けてから、おもむろに動きだす人も。「みんな、一斉に行っても、結局待つだけでしょ」なんて冷静。おっしゃることはごもっとも。こういう人は、普段から周りと一線を引いてる。「そういう人こそ気持ちはあったかい」なんて、まま誤解があるけど、見ての通りクールで付き合いにくいのは変わらないのだ。

で、一人二人とトイレから戻ってきたのを見て、最初は行くつもりじゃなかったけど、「あ、やっぱり私も行く」って人が、必ず出てくる。「次のトイレ休憩は、ずっと先かも」なんて突然不安に駆られるわけで。

その時には、時間がもうぎりぎり、先に戻ってきた誰かが「最初から行っておけばよかったのに。早くしないと間に合わないじゃない。xxさんっていつもこうよね。ぎりぎりにならないと動かないんだから」と言う。同意する人や、あえて話に入らない人。

場はさらに微妙な雰囲気になるけど、xxさんが大して気にしてもなさそうに戻ってきて、皆さんご出発。

この仕切り役の人、グループの中では若く見えるし、大変なんだろうな、まとめるの。この後、しばらく休憩する予定がないのか、気配り上手なのか、自分より年上の人たちに気を使っているのか、御苦労さまです。これじゃストレスもたまるだろうな。みなさん、フリーダム過ぎ。

なるほど、「トイレいかがですか?」の意味がわかった気がする。このビジネスライクで、冷ややかな感じの意味が。

ヨガでいう「流されず自分の生き方をする」とフリーダムの乱用は違う。自分も大抵、誤用、乱用しているけど。少し考えてみました。

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さて、写真は朝ヨガのときのEriko 先生。一人で立てるからこそのツリーポーズは、上に伸びていく感じが気持ちいいです。

 

近いほど、話はよく聞こえる

11月23日のもう一つのイベント、Mizue先生の「呼吸を深める」。

参加された方やスタッフ役をされたYuko先生によると、普段しない、面白いワークが多かったのだとか。

「分かっていたはずのことが、分かっていたつもりだったことがわかった・・。」とは、Yuko先生の話。「途中で気持ちよくなって、眠くなってきた」という人もいて、本当に心地よいレッスンだったみたいです。

そこで練習した、二人一組で背中合わせに座って呼吸をし、背中で相手の呼吸を観察すること。後で、写真を見せてもらうと、背中をぴったり合わせて座って、目を閉じたり、一点を見つめながら、相手の呼吸を観察している皆さんの姿が映っていました。きっと静かな時間だったのだろう、と思いました。

背中が密着している分、相手の呼吸を感じ取りやすいのだとか。レッスンに参加した人に聞くと、イコール自分の呼吸もわかるみたいです。

この練習は、簡単なようだけど、ものすごく深くないですか?背中をくっつけて、呼吸を聞き、聞かせる、この練習は違うところでも役に立つはず。

「この人、絶対こんなこと考えている。そんなの、すぐにわかる。」こんな風に思うとき。だけど、そうでないことは多々ある。後になって、「え?そんなこと?言ってくれないとわからないよ」と、自分サイドは、びっくりすることないですか?相手は、「そこまで言わないとわからないの?」と苦々しく思っていたりする。

同じように、「そんなこと言ってないんだけど?」と自分の言葉が、まったく違う解釈であちこちを飛び回って、収拾できなくなることも。

相手のことは、あなたのことじゃない。簡単にわかるわけはない。同様に、あなたのことを人が分かるわけもない。そうやってコミュニケーションがぐちゃぐちゃになっていくこと、ありませんか?

そんなとき、聞く、聞かせる。できるだけ近くで。そんなプロセスがあったら、違うことになる気がします。聞くだけでは何も解決しないけど、解決しないでもいい。今、必要なのは解決じゃないから。

近いほど、話はよく聞こえる。当然じゃないですか?

メールや電話が、コミュニケーションを却って、こじらせた気がするけど、それだって言いわけで、会って聞けばいいだけ。そんなときに、呼吸のレッスンでやったことを、思い出せたらいいですよね。

沢山の方に参加していただいた、Mizue先生の呼吸のレッスン。第2弾もという声も多く、また企画できるように準備します。写真でも、ヴィンヤサ系のクラスとはまた違う、落ち着いた笑顔が沢山で、見ていてもほっとします。

1が全て

年末に開く「108回のサンサルテーション」の準備として、一昨日11月23日に「サンサルテーション練習会」を開きました。ヨガの基本のポーズ、太陽礼拝を年末に108回練習するのは、聞く限りでは、日本特有のものらしいけど、心情的にもとても受け入れやすい。

レッスンの最初に、Mizue先生が説明したのは、108とは、『よろず』、つまり沢山ということだとか。108は煩悩の数と言われているけど、ネバーエンディングに煩悩があるということだ。

「1、2、たくさん」としか数を数えない文化がある、と習ったのは、小学校だったかな。指が5本あっても、親指と人差し指で終わっちゃうのね。中指以降は、おまとめなのか。お子様手袋と同じ。

1はそれだけ、2はその続き、たくさんはもう想像できない。そのころは、煩悩だって3つ目以降はいっしょくたで、4つあっても5つあっても体勢に影響はなかったのかもなあ・・。いい時代だったんだ。数字ができて、どんどん沢山数えるようになって、ついでに煩悩も見える化したんだろう。

でも、「1か2」は、ある意味デジタルだ。1はそれだけ、それを食べたり使ったら、もうない。でも、2はまだある。いや、私にはもっと未来があるの、と思ったときに、たくさんになる。

「それだけ」と「それだけじゃない」の違いは大きい。単に一つ増えただけじゃなくて。

「自分だけ」と「自分だけじゃない。」

「これだけ」と「これだけじゃない。」

「ここだけ」と「ここだけじゃない。」

それを失くしても、まだある、ということがどれだけ大きな心の支えになるか、分からない人はいないだろう。プレゼンに失敗しても、もう一度チャンスはある。お金を落としても、豚の貯金箱がある。ワンモアチャンスが、2の意味だ。飛び降りても、ああ、ネットがあった。

おそらく、おそらくだけど、本当は全てワンチャンス、1しかないのだろうと思う。それを逃したら次はない。使い切ったらもうおしまい。失敗したら後はない。もとより、まったく同じこと、同じ人、同じ場所はないのだから。

だけど、1つはある。0じゃない。1つしかないのが、当然かもしれない。そう思うと、怖いと同時に安心もする。スペアがないのだから、失ったら何もない。でも、今はある。

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休講のお知らせ

12月5日(月)パワーヨガ、のびのびヨガ

12月9日(金)11時40分のハタヨガソフト

12月14日(水) 自力整体ヨガ

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年末スケジュールのご案内

108回のサンサルテーション:12月25日 10:30-13:00 by Mizue

レギュラークラスは、年内は12月28日まで、年始は1月4日から営業します。

小さな会社の忘年会

恒例?メンズヨガ忘年会。

何故か、小さな会社の忘年会みたいになり、社長、幹事、幹事長、とっても優しいロックンローラー、顧問のMizue 先生に平成生まれのフレッシュマン、笑顔が自慢の営業マンと見るからに切れそうなバックオフィサーと選手会長に宣伝部長、で蛍光灯まで持って歩いちゃう経理担当。本当に会社じゃん。

ヨガでしか繋がってない11人が集まると何を話すか?ヨガ哲学とか、ヘッドスタンドの秘訣か、最新ヨガウェアの広告宣伝か?

いや、そういうことじゃなくて、普通の、というか、普通以上に笑える普通のネタ。

そうなんだよね、ヨガをやっているから、何か特別ということじゃないのだ。

「ヨガで繋がりました、深いご縁があるんですね・・。」と言うのって、ちょっと怖くないか?普通が一番よ。おそらく、ヨガスタジオで繋がれるんだったら、ヨガスタジオじゃなくても繋がれるんだよね。ただ、そこがヨガスタジオだっただけで。

でも、いつもヨガを一緒に練習する人たちだから、いっしょになると、何かを飛び越えて、いきなり和気あいあいになるのだった。

11人もいると、あちこちで違う話をして盛り上がる。「なぜ、ヨガを始めたのか?」というディープな話から、「なぜ、あのとき脱いだのか?(Tシャツを)」や「パンツは前後裏表穿けるのかを改めて検証する(こちらのブログ参照)」まで。

何だか、畳の上で平泳ぎレッスンは始まっちゃうし、ゲームはしちゃうし、一部の地方ではビールの消費量がやたら多いとか。

「もう、なんだよお(笑)」みたいに、長いテーブルのこっち端とあっち端で、真ん中の社員の頭を超えて話が飛んでいったりもする。会社の会議で、そういうのない?マーケティング部の課長と人事部のリーダーが、会議室を対角に言いあっていて、残りのメンバーはひたすら資料を見ながら終わるのを待っているとこ。

でも、そんな中で、ふと耳にした一言が忘れられなかったりする。私もあった、言わないけど、個人情報ですから。(笑)

おそらく、あなたも私も、生きていれば色んな人に会って、いつもずっと一緒の人もいれば、その時限り、もう一生会わないだろう人もいる。特に、行きずりの人から聞いた言葉が、その後の自分を変えたりもする。あなたも、そういうことあるでしょ?

インプットを期待していたわけじゃないから、尚のこと、頭に残る。サプライズの贈り物をもらったような気もする。人と会うとか話すとかって、結局、そういうことだ。

この日は忘年会だったので、後1年生きていられるくらいは笑った気がする。会を企画して下さった方、一緒に笑ってくださったメンズのみなさん、本当にありがとうございました!

 

「見なかったことにしよう」と狼狽している人を見て、狼狽するとき

「どうもありがとう。でも、ごめん、間違ってメール開けちゃった」と、同僚が言いにくそうに言う。昼休み、「急用を思い出したけど、携帯もオフィスに忘れてきた」と言うので、「私の貸そうか?」と軽い気持ちで貸したら・・・。ちょうど電話を切るタイミングでメールが来たらしい。

え、何のメール?もしや・・?会社には内緒にしている、あれ?某アイドルのファンクラブのメルマガ?コスプレ写真?「そんなもんに、5万円も払ったの?」と言われそうな、オークションの結果?ファンクラブ仲間と偽名でやりとりしているメール?(自分でも、正気じゃないと思う、ゴージャスな名前だったりして。)

どこまで見たんだろ?何を見たか、聞こうか聞くまいか?言いわけしたほうがいい?でも何を??彼女が「見なかったことにしよう」と狼狽している風が、むしろ、こちらを狼狽させる。

「絶対内緒ね」と言うのは、「言いふらしてくれ」というようなもんだし。言ったら、むしろ根ほり葉ほり聞かれそうだし。動揺したまま、あれもこれもしゃべりそうだし。毎晩、DVDと新作動画見て、ブログチェックして、フェイスブックで「いいね!」しないと寝られない。病休取って、シークレットライブに行くプランと、万が一、撮影入ったときのためのコスプレ計画とか。

こんな人は、きっといないだろうけど。似たようなはめになったこと、ないですか?あるいは、今も。悪いことをしているわけじゃなくても、アイドルだったり、株や趣味だったり、恋愛とか仕事だってそうかも。

それが終わった後で振りかえると、全く理解不能で、むしろ「大丈夫?」とすら思ったりして。周りも巻き込んでいた日には、穴があったら入りたい。というより、その頃が何か穴にはまっていたんだよね。

普通に歩いていたら、「あれーっ」って落とし穴に落ちる感じ。不思議の国のアリスじゃないけど、最初は不安でも、気付いたら自分が主人公になって、足抜けできないことになっている。周りは、そういう自分から目をそむけているんだろうな。冷静なときに思うと。

ちなみに、ヨガで内観をするということは、そういうことかも。周りが自分から目をそむけていても、自分はそむけてはいけないのだった。

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11月23日のイベント、3つあるうちの最後は、「コアトレ・アドバンスド」。

プロ仕様(?)のコアトレを、試してみてね。腹筋がしっかりしている人は、自分できちんと管理しているんだろうな、と思いませんか?周りから、そう思われたら、ちょっとうれしいかも。

決して足が長いわけじゃないのに(失礼!)、どうしても足に届かない・・・なんて人は、チャレンジする価値、大アリ(私も)

サーフィンやこれからが季節のスノボなど、コアが必要なスポーツをする方にも、お勧めです。中級以上向けなので、個別のボディチェックで、その人に必要なアドバイスを行います。お待ちしています!

ご予約はこちらです。

「呼吸していたんだ、自分」

生きている以上、呼吸はしているわけで、いまさら気付きも何もないはず。自分のどうこうするものではなくて、何かそこにあるもの、だと思っていた。

一番最初に、呼吸に意識が向いたのは、泳げるようになったときかも。

恥ずかしながら告白すると、それは、ほんの10年くらい前、ずっと息継ぎができなかったのです。

水から顔を出して息を吸うなんて一生できない、自分の体はそういう呼吸ができないことになっている、と信じてた。本で読んだり、人に習った通りに、息継ぎの真似はしていたけど、呼吸できなかった。

なので、25メートルプールの15メートルの線を超えたあたりで、ここで立ち上がらないと死ぬと思って、必ず立ち上がっていた。

あるとき屋外のプールに行きました。変形プールで、底に線はないし、どのくらい泳いだかも全然わからない。なんとなく泳いでいたら、プールの向う端まで着いた。立ち上がってゼイゼイしてたら、一緒に行った人が「大丈夫?」と聞いてくれて、「大丈夫だけど、息継ぎしないとキツイ」と答えたら。

「絶対、息してると思う、50メートルは泳いでるよ」

「え?」

呼吸していたんだ、自分。

今にして思えば、「いったい何を言ってるんだ?」でしょ。でもその途端、すいすい泳げるようになった。

息継ぎできないと思い込んでいたけど、いつから自分は泳げていたんだろう。もしかすると、かなり前からできていたのかも。

泳ぐために呼吸を変えるなんて、想像もできなかったけど、体は自然と呼吸する。泳ぎ終わって深呼吸をすると、バクバクしていたのがほっとした気分になるのだって、気付いたらそうなっている。

ヨガで呼吸を学ぶ意味は、呼吸が自分の体と心を変え、体と心が呼吸を管理していると知ることだろう。

自分の体のことで気付かないことは、まだ沢山あるはず。これだけ生きていても。この先、どんどん年を取っていくと、さらに知らないことに気付いたり、その時になって起きる体の変化もあるだろう。

自分の吐く息と吸う息のバランス。胸がドキドキするときに、どういう呼吸をすると楽になるのか。ヨガで習うウジャイブレスも、片鼻呼吸(鼻孔を片方ずつ押さえて、交互に呼吸する)も。後、どのくらい、いろんな呼吸ができるんだろう。発見の旅は続く。

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来週の11月23日、勤労感謝の日は、イベントが3つあるのですが、その一つが「呼吸を深める」、滅多にないMizue先生の座学です。きっと、きっと発見があると思うので、是非来て下さいね。お待ちしています。

ご予約はこちらです。

軽く行こう

パンツを裏表&前後で穿いて4日間!?

明日から大阪出張。資料やサンプルを持っていかないといけないし、先方へのお土産も必要だし。東京駅で、スーツケースを引っ張って、紙袋3つほども買うことを思うと、荷物は極力減らしたい。

な、わけで、パンツは極力穿き倒す。

という話を、とある日のメンズヨガで聞きまして。(←絶対絶対、私の話じゃないから。)

裏表くらいは、まあわからないでもないけど。そんなするくらいなら、パンパースでいいんじゃ?(←アブナイ発言は消しました。)

それはさておき、

Travel light.

憧れる、本当。「え?それで3泊するの?」みたいな。行った先で、ホテルに泊まるなら、そこそこのものはあるじゃないですか?なければ買えばいいし。なかったら着のみ着のままで、何か問題でも?

まあ、パンツくらいは洗うでしょ?で、そんなのをバスルームに干しているときに限って、一緒に出張に来た同僚が部屋に訪ねてきたりする。女子ならまだしも、男性の先輩も一緒だったりして。来るなり、「トイレ貸して」と先輩が席を立った後に、「あ!干しっぱなしだー」みたいなこと・・、ないですか?でも、韓国ドラマじゃないから、そこで恋が芽生えることもなく、後で、みんなに言いふらされて笑いのネタを提供するだけなのだった・・。

もっと現実的には、干したまま出かけて部屋に戻ると、パンツをかけたハンガーがエアコンのそばに置かれていたりする。清掃係の人が気を利かせて、乾きやすいようにしてくれた違いない。忙しくてばたばただったので、それはそれで、「ありがとうございます m(_ _)m」な気持になったりする。

軽くひょうひょうと行くのがいいのか、ずっしり根付くのがいいのか。

ヨガで言うなら、どちらも大事というのが答えだろう。でも、自分を観察すると、軽く行きたいときは、本当は根付かないといけないときみたいだ。反対に、ここで頑張る、動かないぞ、と思うときこそ、フットワーク軽く外に出かけるべきな気がする。

バランスというのは、そういうことかも。「どこか行きたい」という気持ちは、「ここにいたくない」ということ。その反対もしかり。「出かけて何かを探したい」ということは、「ここには何もない」ということだ。

でも、ちょっと待って。それは本当?本当にここは不愉快な場所だろうか?本当にここには何もないんだろうか?天秤と同じで、片方が重くなるほど、もう片方も重くないと機能しない。でないと、載せた荷物は床に落ちて壊れるだけだ。

軽く行ける人は、本当は重くもないといけない。軽く出かけようとしているとき、今いるところにきちんと立っているかなんて、気にもしない。だけど、それじゃいけないのかもしれないな。

足で立てる以上、頭でだって立てるはず

生徒の皆さんが来る前に、先生たちは自分のウォーミングアップをします。

今日の流れが大体決まっていて、それを最後にもう一度おさらいする。ポーズは、レッスンの前に生徒の人たちと相談して決めるので、全体的に体をほぐしておく。体を動かすだけが、ウォーミングアップじゃなくて、何かのポーズの説明をしようと思って、その内容を確認する。

さて、写真は火曜日の朝ヨガ担当、Nana先生。雨交じりの朝にヘッドスタンドの練習中です。先生が学んでいるシヴァナンダヨガでは、ウォーミングアップが終わったら、まずヘッドスタンドを練習するそうです。他の流派だと、大抵レッスンの後半に練習するけど、何故?

先生曰く、まずヘッドスタンドで今日のレッスンに集中する準備をするのだとか。まだヘッドスタンドが難しい人は、ウサギのポーズの練習を。頭のてっぺん(百会のつぼ)を刺激して、集中力を高めるということですね。シヴァナンダヨガは、ヘッドスタンド以外にはハードなポーズは少ないそうで、その分、自分自身に意識を向けるのにフォーカスするのでしょうか。

なるほど。

でも、ウォーミングアップの後、いきなりヘッドスタンドってハードル高くないんだろうか?Nana先生は、「バランスの取り方が分かれば大丈夫」と言うけど。

写真をよく見てみる。ヘッドスタンドって、立っているのをひっくり返しただけでしょ?

普通に立っているときのほうが、むしろ重い頭が上にあって、バランスが取りにくいんじゃ?、立つだけではなく、歩くことを考えると、上に重いものがあるほうが、動きやすいから、こういう仕組みなのだろう。昔の人は、頭の上に、野菜や魚の入った重いかごを乗せてひょいひょい歩いていたじゃないですか?(見たことないけど)

でも、静止するのなら、重いものが下の方が、安定する。どう考えても、上半身の方が下半身より体積も重量も多いし。じゃあ、何故ヘッドスタンドは怖くて難しいのかな。

ヘッドスタンドで倒れるのが怖いと思うことがある。何故普通に立っているときは、倒れるのが怖いなんて思わないんだろう?怖さを克服して歩いているわけじゃないだろう。

芽を出したばかりの朝顔は、まだ下を向いている。翌朝には、重い芽が少しずつ上を向いて行き、左右対称になる。子どもが歩きだすときだって。重い頭をよっこらしょと持ち上げられるようになって、ゆっくりと立ち上がる。何かというと転んで、頭から絨毯に突っ込むこともしばしばだ。それを再び胴体の真上に乗せ、おぼつかない脚で床を踏んで、やっと立ち上がる。

子供の時は頭が重いから、立つのだって大変だ。大人になり頭が軽くなると、その分動きやすく、活動的になるのかな。

きっとヘッドスタンドにも同じプロセスがあるはず。頭の上に体重を持って来られるように、脚を寄せてくる。脚を伸ばす前に、できるだけお腹に近付けて、真っ直ぐな上半身を作る。上半身が真っ直ぐにできたら、脚を少しずつ上に持っていく。上半身、要はコア部分が直立しないと、ヘッドスタンドはできないんだなあ。下から積んでいくのは、立ち上がるのと、同じだね。

ちょっと、納得したので、これから練習する、ヘッドスタンド。